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2002年10/28〜11/3まで8名でラオスを旅した。
ベトナム時代からお世話になっている上田教授の誘いで、参加メンバーも知らないままに参加を決めたが皆さん暖かい人、それぞれにご活躍中の輝いておられる方ばかりで非常に楽しい旅でした。
(メンバーは上田教授以外に、女優の三林京子さん、元NHKアナウンサーでジャーナリストの三浦さんと旅行ジャーナリストの大野さんご夫妻、染色家の酒井さん、元日本割烹学校教師の高倉さん、前JETROホーチミン事務所の投資アドバイザーの中村さん)
アジアにあって他の国のようなごちゃごちゃ感が全くない自然そのものの国でした。皆さんの、荒らされたくない国、このままそっとしておいて欲しい国との感想は日本の今の姿の反面教師として理解できます。
しかしラオスには経済的に豊かになりたいとの願望が当然あり、既に豊かになってしまった日本のエゴなのかも知れない複雑感も正直抱いた旅でした。 |
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首都ヴィエンチャン
ラオスの首都であるヴィエンチャンはメコン川沿いに作られたラオス最大の都市で、16世紀半ばにセタティラ ート王により主都に定められた。街並みはフランス植民地時代の建物と並木道、それに数多くの寺院が混 在したアジアと西欧の融合した静かな都市である。 |
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| ラオス空港 |
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| パトゥーサイ(凱旋門) |
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凱旋門上から見た市街 |
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| パリの凱旋門を模して作られた戦没者慰霊碑。 |
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高層建築もなく主都と言えども素朴な田園調の広がりに心が和みます。 |
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| タートルアン |
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ラオス仏教の最高の寺院で、ラオスの象徴とも言える。伝承では3世紀頃の建立と言われるが不明。1566年セタティラート王により再建された。北の寺院は仏教界最高位の僧侶の住まい。 |
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| ワットシーサケット |
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ホーパケオ |
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| 1818年建立。ヴィエンチャン最古の寺院で市内唯一当時の姿を保つ。本堂と回廊に合わせて6,840の仏像が安置されている。 |
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1565年建立。ルアンプラバーンがらの遷都されたときにエメラルド仏を移して安置するために建てられたが、1779年シャム王国との戦いで消失、仏は持ち去られた。1936年フランスにより再建された。 |
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| ワットシーサケットの仏像 |
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| 友好橋 |
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友好橋のセンター |
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オーストラリアの援助でメコン川に架けられた橋です。
センター向こうがタイ、こちらがラオスです。 |
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オーストラリアから贈られた旨がモニュメント上に書き込まれている |
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友好橋センター上にて記念撮影 |
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ルアンプラバーン
ルアンプラバーンはランサン王国(1353-1975)の王都で、カーン川とメコン川の合流地点に位置する緑豊か な都市である。美しいラオスらしい街並みと歴史的、文化的遺跡保護の目的で1995年ユネスコにより町ごと世界遺産に指定された。 |
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| ワット・シェントーン |
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1560年、セティラート王により建造。屋根が低く流れるように作られているルアンプラバーン様式の典型的なものである。 |
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| ワット・シェントーンへの参道 |
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参道でハイポーズ |
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| 洞窟に向かう渡し船 |
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洞窟に向かう渡し船 |
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| メコン川を遡りバクオウの洞窟へ |
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船は2隻に分かれて |
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| バクオウの洞窟 |
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メコン川沿いにある洞窟でセタティラート王により発見されたという。洞窟内には人々が運び込んだ4,000体以上の仏像が安置されている。 |
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| プーシーからの日没 |
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プーシーからメコン川を望む |
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| プーシーとはルアンプラバーンの中心近くにある100m程度の丘で、300あまりの階段を上がると町並みが見渡せ、特にここから見る日の入りを目当てに多くの観光客が登ってくる。 |
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ぷーシーから見た町並みとメコン川 |
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| プーシーの修行僧 |
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ラオスには非常に多くの僧侶が修行をしている。ここプーシーにも若い多くの僧侶が修行している。
毎早朝には托鉢する僧侶の行列が町で見られる。 |
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| モン族のお婆さん |
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市場で魚を焼く |
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| ラオスは織物の産地ですが自分で織った製品を露天で売っている |
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日本と変らないような焼き魚 |
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| しばし休憩 |
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お茶の時間 |
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| 日差しを避けてしばし休憩です |
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これも休憩に入った喫茶店です |
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| 朝の物売り |
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竹篭売り |
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| 学校に行く学生と物売り。 |
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竹篭は色々の用途で使用されている |
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| せーの滝 |
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| 森の中に突然現れる滝 |
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滝の淵で読書しながらリラックスするのはヨーロッパ人か? |
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| ラオス焼酎「ラオラーオ」 |
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「ラオラーオ」を試飲する三林さん |
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サンハイ村はラオス焼酎「ラオラーオ」
造りで有名な村です。 |
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早速試飲する三林さん |
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友好と友情
今回の旅行は単なる観光に留まらずJICA(日本国際協力事業団)で活動されている皆さんとの交流も行った。
ここラオスだけでも300人程度の方が活動されているそうですが辺鄙な地での努力には頭がさがります。
ただ変なおばさんが昔のよしみなのかでしゃばってきたのには正直がっかりもしましたが。もし皆さんの努力に水をさすなら許されない行為です。 |
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| ビジネススクールでの講義 |
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熱心に聴講する参加者 |
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講義をする中村さん。
ベトナムとラオスの比較論「国際ビジネスの開拓」。
私も「ベトナムでの教訓」を各々1時間を受け持った。 |
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熱心に聴講されました。そのはず、なんでも参加料を取っているそうです。皆若いビジネスマンですが、中にはお国柄でしょうか僧侶の姿もありました。 |
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| 日本語の発音 |
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ラオスの印象 |
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| ラオス大学の日本語科の学生に日本語の発音は「あい,う,え,お」が基本と熱く語られる元NHKアナウンサーの三浦さん。 |
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ラオスの印象を熱く語られるのは旅行ジャーナリストの大野さん。 |
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| 舞台稽古には先ず毎朝の発音練習から |
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| 三浦さんの講義を受けて発音練習の実践を披露する三林さんには学生たち思わず感嘆の声。 |
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| のりの説明を通訳を介して |
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まき寿司の実習 |
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| 日本語の講習の後は高倉さんと酒井さん指導の料理実習。 |
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学生達の作った巻き寿司とコロッケは皆で昼食
にいただいたが美味しかった。それもそのはず
高倉さんは元割烹学校の先生です。 |
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| JICAの皆さんと夕食 |
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今回の旅行はJICAの皆さんのお世話にもなり、またお返しではないですが色々と講習のお手伝いも出来楽しい旅行となった。 |
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| SISANE家 |
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SISANE家の皆さんと |
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| 土地の名士のシサン家に招かれました。シサンさんはカンチャナと言う娘さんの名前を冠したシルクの店を経営されながら絹織物の博物館を現在作られている最中でした。 |
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前列のおばあちゃんが89歳で元大臣婦人です。前列右端がシサン夫妻で、その前が娘さんのカンチャナさんです。 |
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| バーシーの準備 |
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バーシー |
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地区の古老からバーシーと言う祈りを受けて互
いの友情、健康、絆等への誓いを行う。 |
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お互いが手首に祈りを行った紐を結び合い3日
間そのままにすると言う慣わしに従った。上の
総合写真で皆が腕を見せているが、そこに紐
が巻かれているのが見える。 |
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| 可愛いベッド |
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オープンスペースに可愛いベッドが置かれていた。 |
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| 草木染めの手ほどき |
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シサンさんの奥さんから直接草木染の手ほどきを楽しそうに女性陣が受けていました。 |
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| 富永さんの邸宅でラオス料理をいただく |
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富永さんは技術指導のボランティアとしてラオスで長く活動されています。
それにしても今回参加された皆さんの健啖ぶりには驚きでしたが、美味しい!! の連発でした。 |
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| 民族衣装のファッションショー |
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三林さんも飛び入り |
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| 各国の大使夫妻も参加したファッションショー |
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富永さんから乞われて、ラオス製の着物で三林さんが飛び入り参加。手首にはバーシーの紐がくっきりと見える。 |
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| 手織りの機 |
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富永さんの指導される縫製所 |
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ラオスは絹織物が非常に盛んな国です。タイで
売られているのも実はラオス製が多いそうです。 |
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女性が手に職をつけて家計を助けることを援助
されているのが富永さんです。 |
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| 木工製品を吟味する皆さん |
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ラオスは木工製品も盛んでいいものが安く手に入るそうです。皆さん真剣に吟味されていました。
今回の旅行では織物製品や木工製品など多くの素晴らしいものを女性陣は見つけられたようで、三林さんなどは急遽バッグを購入して詰めて帰られました。 |
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